2017年06月15日

ボール投げの名人になろう!

最近、このブログからお問い合わせしてきてくれた方がいらっしゃった。ちょうど下関の活動校区内のお母さんで、練習の見学に来られた。(すごいな)と思って試しに「ドッジ 投げ方 下関」で検索しても我がブログはヒットしない!
どうやってアクセスしたのだろう?ありがたいな、と思った。と同時に、きちんと更新をかけねば、と心を新たにした次第です。
そういえば、お世話になっている近隣の監督さんや、別のチームのコーチから「大石さん、見てますよー。ブログ。文章力ありますね〜」とか「テイクバックの記事、参考にさせてもらっています」なんてお話を頂くと、益々気が引き締まる思いがした。

今後は、画像や動画も含めた、文章だけではない、より見やすい、より楽しい記事にしていきたいと思っているが、PCに不慣れなものでいつになるか、約束はできない。
物書きなので文面にまとめることはできるが、デザイン面はどうも苦手である。ドッジの募集チラシも文章量が多くていつも、デザイナーさんに「文字数を少なくして〜」と指摘される。(それでも問い合わせしてくれる人も多くいてありがたい)

最近部員も増えて、今期既に9名入った。ざっと36人。ざっととは、適当な、と思われるかもしれないが見学している入部検討中の子が8名ほどいるので、その子たちが入るかどうかで部員数も変わるし、毎週変化するので把握しきれない。
投げ方教室も定期的にしたいのだが、またチラシをまいてわっと人数が増えたら収拾がつかなくなるので、今期はまだ配布を控えている。というのに自然に人が集まってくる。
一昨年は人数不足で県大会にも出れず、昨年ようやく人数が揃ったというのに。育成方針に投げ方を重視しブログを始めた時期と人数が増えた時期が符合するので、勢いに関係があるかも知れないが、何より保護者の協力が大変ありがたい。
全ての保護者がチームの運営に協力的で、様々な役割に対して、本当によく動いいて頂いている。会長はじめ、運営スタッフの方々には頭が下がります。総会で感動したのは初めてです。
10周年記念事業も、すんなり「やりましょう!」と後押しして頂けました。勝山D.Fは、2017年で10年目になります。我が子のためとはいえ、チーム運営の基礎固めをして頂いたこれまでの保護者さんにも感謝です。

この場を借りて、御礼を申し上げます。

勝山ドッジファイターズ 監督 大石健一
posted by 触育士 at 10:11| Comment(2) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月15日

ドッジボール育成・指導手引書のご紹介☆その4これでいいのか、日本は!?

子供だから、言わなければわからないことが多いから、具体的に手取り足取りしている。が、(なんか、違うんじゃないかな・・)という想いも頭をよぎるのも事実です。と、前回書いたのは、全てをマニュアル化してそれに従わせるのは、本質から逸れる危惧がある、その可能性が高い、ということです。

本来≪当たり前の事を当たり前に行う≫気持ちが身に付いていたならば、いちいち細かく注意しなくても、その場になれば、分かるはずなのだ。

日本人は古来、『ごはんつーぶ、つーけて、どーこいくの?』≪米粒一つ残すと、お天道様の罰が当たるよー。目がつぶれるよ≫と、目に見えないものに対して、感謝の念を抱く感性を育んできた民族だ。これとあれを論理的にでなく、感覚的に感じ取るセンサーを磨いてきた民族性があるはずなのだ。

左脳で聞いたら「どうして米粒残すと、目がつぶれるのさー?」「意味分からんしー」「ありえんしー」となるだろう。(今時の子は、この『しー』を語尾に付ける子が非常に多い。「し」は、音的に、「死」に繋がり、語尾を下げれば「鎮める」という働きがあるが、上げると「死ね!」となり、あまり宜しくない。失礼な響きを与える。だから、「静かに・・」、というところを「しっ!」とやれば、「黙れ!」「うるさい!」という響きとなり、相手に不快感を与えかねない。だから我が家では語尾に「し」を付ける事は、禁止している。脱線したが。)

話を元に戻そう。つまりはこうだ。
弁当作ってくれて当たり前(ご飯を食べれて当然)、送迎してくれて当たり前(歩ける距離じゃないのだから車で当然)、試合なんだから審判がいて当たり前(ワンバンをアウト取られたらやってられん)というような(極端な表現をあえてしたが)感覚の子供たちに、どうして感謝の気持ちを持て!と訴えて、響くのだろうか、と思う。
感覚に訴えて響かぬものを、ただ形だけで礼儀やマナーや挨拶の仕方を教えても、何にも意味がないのではないか、というのが私の経験から来る見立てだ。
形だけの挨拶や礼儀に意味があるとしたら、それは管理しやすいから、というだけに過ぎない。それはもはや教育ではない。

礼儀が必要ない、とは言ってはいない。挨拶なくして人間関係は一瞬たりとも成り立たない。しかし、それらを≪カタチ≫から入っても、今時の子供たちには、心の成長に役立たたないのではないか、と思うのです。

話が煮詰まってきたので、もう少し突っ込んで事例を語ろう。
あるドッジの監督は公の場で
「必ずしも(日本古来の武道に通じるスポーツで)礼儀を重んじる、とうたい文句があっても、実際のところは、全然礼儀が身に付いていない、という子も実は多い」ともらした。
すると、別のベテラン監督は「そうそう、そうなんです!」と同感し、最終的には、もっと経験豊かな教師でもある元監督から
「・・・。ま、そういう話は、よく聞きますな・・・。」という一言でその話題は終わった、という事実がある。

私は正直、(なんじゃそれは?)と思った。武道系のチラシにはたいてい「礼儀指導しています」「礼に始まり礼に終わる」「マナー礼儀は重んじて・・」と書いてある。母親としては、家庭で出来ない事をそういう所で躾けてくれたらありがたいと思うだろう。して、その実態は・・?

ピンキリだろうから、決してその世界を侮っているわけでは毛頭ない。優れた指導者がいるに違いない。しかし現場を見てきた監督たちが異口同音に言うには、裏がある。(真実味がある)と察し、身の回りをサーチしてみる事にした。

灯台下暗し。とはこのことで、私の教え子にも同様のケースがあったのだ。

その武道の名称を特定すると問題となるので、ぼかして伝えざるを得ないが、事実として信じて欲しい。ある入部した子は礼儀正しく、はきはきと「はい!」と言える子だった。(この子は違うな)と評価したが、段々とおかしいな?と思い始めた。
(この子は本当に監督の話を聞いて、ハイと言っているのかな?)と。すると、ある時その子は、
「いいか?(よく聞けよ?)」と話し始めるや否や「はい!」と答えるではないか。(あの〜、これから話すんだけど・・?)と間を空けて、「でね、こうするといいよ・・」と助言するや否や「はい!」「はい!」と直立不動で返事だけはする。
(あー、この子は返事することには慣れているけど、聞いてないな)と分かってしまった。その世界で、規律や礼儀は学んできたが、形だけで、身が入っていなかったんだ、という事を悟るに時間はかからなかった。

この貴重なデータ(経験)から、私は監督として、決して頭ごなしに礼儀を強要する事だけは止めよう、と誓った。そんなことをさせるくらいなら、「うぃーす♪」の方がまだましだ、と。(ブログにも書いたが、何を言っても「うぃーす♪」としか返事しなかった子が、バスケで特待生入学だ。

形だけの返事より、意味を理解し、生かしてくれた方がどれだけ嬉しいか、と。その「うぃーす♪」の子の挨拶など、「お!監督!」とか「よお!」みたいに手を振って適当な挨拶だった。(道で会った時だが。練習中はきちんとしていた。)

小学生は、それでいいのではないかと思う。心が通うか、通っていないか、が肝心なのであって、挨拶の型は後から学べばいいんではないかな、と。

無表情で礼儀正しい子を見ると、(お前の本音はどこにある?)と、突っ込み入れたくなるのだ。抑え込まれた反動が怖い。と。

先達の知恵は、否、間違っている、と言われそうだが。少なくとも実際に起こっているのは、「これでいいのか、日本は!?」という現実。中学校が荒れていて、近くの公園で小さい子が一人で遊んでいると危ない、切れて何をされるか分からない、という。挨拶をしなくて当たり前の子供たちが進むであろう、必然の結果。
どんな事件が待っているか分からない、けれども小学校を卒業したら、その中学に入学せねばならない現実。

我が子をどう守るか、どう育てたいか、真剣に考え、共に「どげんかしよう」という父兄でにぎわうチームとなりたいものだ。

お父さん!お母さん!コミュニティ・スポーツとしてのドッジボールクラブを通じて、より良い教育環境を作っていきませんか?

詳しくはこちらへー。
http://sdba.jp/wp-content/uploads/ドッジボール育成指導手引書.pdf

(最終章へつづくー)

-------------------------------------------------------------------
対等意識を持った指導
“私は教えてあげている。だから従え”ではなく、子どもたちを対等に意識した指導が時として必要です。
-------------------------------------------------------------------

誉め方と叱り方、この辺り。永遠の課題ですね、正解などない。でも目の前の現実に対処していかねばならない。対等に意識した指導とはいかなるものか?
共に考えていきましょう!(と逃げるしかない。(笑)そんなもの分かったら苦労しないって。いいわけもよそう。)
posted by 触育士 at 12:21| Comment(0) | 指導者心得 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

ドッジボール育成・指導手引書のご紹介☆その3挨拶の大切さ・伝える難しさ

挨拶に関して、小学生ドッジ指導の現場で起こっている事、それはいたってシンプルです。監督・コーチが子供たちに心を開けばおのずと気持ちの良い挨拶が返ってくる。反対に、指導者が子供たちに疑いの目を持ち可能性を信じきれないと、とたんに子供たちは手のひらを返すように、あいさつなどお構いなしに乱れ出す。

挨拶とは心を開く事であり、多感な子供ほど大人のそうした心理・状況・雰囲気を察して、態度を豹変させます。いたってシンプル。こちらの出方次第。本当に怖いほど”シンクロ”します。
監督が(今日の練習は楽しみだぞ)とワクワクしながら向かうと、子供の方から挨拶をし、(今日は何だかユウツウだな)と思うと(その理由が直接子供たちへの想いに関係があろうとなかろうと)、まるで別人のように知らん顔をされる。

良く『子供は親の鏡』と言うが、『生徒(選手)は監督・コーチの鏡』です。
社会の常識を学ぶ途上の子達にとって、価値基準は全て自分の感性次第です。つまり好きか、嫌いか、したいか、したくないか。そうしたシンプルな基準に沿って、挨拶するかしないかを決める、むろん無意識的に。

大人のように、挨拶はしなければならぬもの、という絶対基準はないから、「今日の監督は何だか眉間にしわが寄っている、近づくのはよそう」とか「何だか、おこられそう。そそくさと靴を履こう」とか、言葉にすると、かような基準に沿って、日々の振る舞いを変えているのではないだろうか。
お母さんに褒められた後の練習は、元気な挨拶とか。「どうしたの?今日は?元気がいいね。」と聞いても、「知らん」とかいう時はそうです。いちいち自分の感覚や感性などを意識しているわけでもない。だから、「なぜ今日はきちんと挨拶しないんだ!」と問いただしたところで「知らんー」。全く困ったものですが、そうやって、監督の鏡になってくれているのだから、そういうへそ曲がりに出くわしたときは、
(待てよ、今日の俺は、何か虫の居所が悪かったのかな?変なオーラが出ていたかな?)と我を振り返るしかない。すると、思い当たる節があったりするから怖い。
全ては、指導する側の自分の問題だ、と腹をくくるが得策だと。そんな自分になりたいものだ、と思うしかありません。(相手の問題だ、と決めつけたくなる時は)

-------------------------------------------------------------------
日頃指導していただく方々に感謝する、多くの方々との関わりの大切さをしっかり認識させる必要があります。
-------------------------------------------------------------------

と、相模原市の手引書にある。確かにその通りだ、しかし「感謝の気持ちを忘れるなよ!」と言ったところで「はい!」と答えるだけで、芯から分かる子は少ない。頭で分かるのと体で体現できるレベルとは違う。
感謝の気持ちをいつも素直に表現できる「出来た」子ばかりがチームにいれば、こんな楽なことはない。しかし一流のチームとて最初からできているはずはない。だから教育しかない。

私のチームでは練習初めに、整列し挨拶し、JDBAの理念昭和から始め、最後は「静寂!」とキャプテンに号令をかけさせ目を瞑り一日を振り返り、「今日の練習ありがとうございました!」で監督に挨拶させ、くるっと向きを変えて「今日、当番ありがとうございました!礼!」で終わり、体育館に一礼して解散する。

練習試合の日の最後には、使用した体育館に挨拶した後、保護者に向かって「今日、当番、送迎、審判ありがとうございました!」と感謝の言葉を具体的に言う。

大会の後は、大会に参加できたのは誰のおかげ?と問い、目に映った全ての人たちへの感謝の気持ちを込め、ドッジノートに具体的に書かせたりもする。
「タイマーやっていたのは誰?」「審判は誰がした?」「賞状や賞品を作ってくれた人は?」と。(自チームの保護者もそうやって係を行い、時には息子の試合すら見れない場合もある、その事を認識させ、感謝の対象を具体的に意識させる)
よって、審判(ジャッジ)に対する文句を言おうものなら、ただでは済まない。
(殴る、蹴る、の体罰は禁止しています。が・・・。黄色か赤か。)

送迎の度に「降りるときに(運転者に)ありがとうございました!といつも言っている?」と意識させたり、「(ボールとってもらった時)お辞儀した?」と確認したり。
子供だから、言わなければわからないことが多いから、具体的に手取り足取りしている。が、(なんか、違うんじゃないかな・・)という想いも頭をよぎるのも事実です。

最終章として、次回、これでいいのか、日本は!?と、大げさなテーマで挨拶に関しての議論を締めくくる事にする。私もまだまだ未熟なので手本となるような事例を紹介できない。だから皆さんと共に、礼儀指導についてどうすべきか、一緒に考えていきたいと思う。(つづく)
posted by 触育士 at 00:06| Comment(0) | 指導者心得 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

ドッジボール育成・指導手引書のご紹介☆その2;挨拶の敢行

引き続き第二弾、相模原市ドッジボール協会発行のドッジ指導書より、指導者の心得を(自らに言い聞かせるつもりで)書かせて頂きます。

-------------------------------------------------------------------
第5章. 育成指導者の心得
@ 挨拶の励行
最近の子どもたちは、挨拶が出来ない、元気がないなど言われます。他の人との関わりを軽視する傾向にあります。
そのため挨拶の大切さを知らずに過ごすことが当たり前になりつつあります。
-------------------------------------------------------------------

うーん、これですね。あいさつ。これ、どう考えても、天地がひっくり返っても古今東西どんな世界でも、軽視しては社会が成り立たない常識ですよね。大人であれば誰でも分かっている。親なら誰でも身に付いているはずの社会性。我が子にもおのづと家庭教育で躾けているはずです。

それがどうして、このように言われてしまう時代になったのか。

あいさつなどして当たり前なのに、≪挨拶の大切さを知らずに過ごすことが当たり前になりつつある≫とは、ゆゆきし事態ですよね。
さて、スポーツに携わる指導者のみならず、全ての子供たちの母親・父親が正面から取り組むべき社会問題でしょう。

挨拶の大切さを知らずに過ごすことが当たり前になった結果、どんな社会が待っているのか。いや、そう言われて久しいなら、既にどんな社会に「なってしまったのか」。真剣に議論すべきではないでしょうか。
否、議論では済まされない、ひょっとしたら今、どうにかしないと、日本がどうなっていくか想像を絶する悲惨な世界が待っているのかもしれない。そういう危機意識をもって取り組まねばならないでしょう。

私が体験した具体例を挙げます。

実は、私は博多祇園山笠に参加して15年を超えます。700年以上続いている国の重要無形文化財である山笠は神事です。人間関係を重んじます。ゆえに挨拶も厳しい。
ある新人が詰所に入ってくる、その際、声が小さいとやり直し。入口で立ち止まって挨拶しないとやり直し。気持ちがこもっていないとやり直しです。
何度でもダメだし。妥協がない。大の大人が、です。それこそ厳しい。少しでも目上の人に粗相があればやかましく指摘される。縦社会とは言うものの、上にばかり気を配っても叱られる。目下の者を大切に扱え、敬え、と。

山笠に入ると、社会人として本来身に付けているはずの礼儀・マナー・常識など吹き飛ばされる。形だけで気持ちが入っていないと、すぐにばれる。「今日は疲れたな」という顔をしながらの挨拶など許されない、なぜならそれが即、気の緩みから大怪我に繋がったり、ミスに通じる。一つのミスが折り重なり重大な問題に発展する。
事を円滑に推し進めるための基本、物事の始まり、それが挨拶なのだ。そんな意味も生まれて初めて味わわせてくれる場所、それが私にとっての山笠だ。

自分が何も分かっていなかったんだ、と思い知らされる、その事を白状すると、逆に褒められる。「大石君、分かっていない、ということが分かった、と。よく言うた」と本心から評価される。驚きの連続だ。これって、論語にある、

『過ちて、すなわち、改めざる。それ、過ちなり』であり、『過ちては、あらたむるに(改めるのに)、憚る(はばかる=躊躇する)ことなかれ』
ではないか!

つまり、間違っていることに気付かない、気付いても直そうとしない、それこそ問題だ、ということであり、自分の間違いに気付いて、その場で直せば、それでいいのです、決して、もじもじしてはいけませんよ、ということ。

ー過ちをかざるをもって恥となすー
 ≪間違いをごまかすのはもってのほか。恥ずかしい行為です≫
 
これは、吉田松陰先生の言葉です。みな、同じ意味合いです。

かの西郷隆盛も、
『(過ちとは)例えば茶碗を割り、その欠片(かけ)を集め合わせみるも同じにて、せんもなきことなり。(どうしようもないじゃないか。大事な茶碗を割ってしまったのだから、正直に謝りなさい)』という。この格言と同じことだ。
(記憶を頼りに書いたので、多少の文言は違うかもしれません、ご了承を)

あいさつが出来ない子供たちが多い、という話から逸れてしまいましたが、基本中の基本である挨拶が出来ないという事は、人と人との間柄において、

・お互いの立場における対等な関係を阻害する。関係維持を拒んでいる。
・最低限の信頼関係をいっぺんに崩す要因となる。
・ましてやモノを教えてもらう人への挨拶がないという事は、教えを請う資格がない。自らそれを拒絶している、という意思表示にもなりかねない。

という事態だと思います。(書いてみて、こりゃ大変だ。小学生にも分かるかしらん?と危惧します。(笑))

と、ここまで書いて冒頭の相模原市ドッジボール協会の指導者の心得に戻ると、どうにも大きなギャップに悩まされ、どこから始めたらいいかよいものか?という現実に出くわす。
-------------------------------------------------------------------
最近の子どもたちは、挨拶が出来ない、元気がないなど言われます。他の人との関わりを軽視する傾向にあります。そのため挨拶の大切さを知らずに過ごすことが当たり前になりつつあります。
-------------------------------------------------------------------
確かにそうかな、ヤバイな、と思う反面、いや元来子供は素直だ、教わる機会が乏しかっただけだ、とも思うのだ。
また明日。挨拶に関して、小学生ドッジ指導の現場で起こっている事、その対処法をお話しします、結構シビアです。。(つづく)
posted by 触育士 at 23:00| Comment(0) | 指導者心得 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

ドッジボール育成・指導手引書のご紹介☆その1

相模原市ドッジボール協会が発行している、詳細なドッジ指導書を見つけた。
http://sdba.jp/wp-content/uploads/ ドッジボール育成指導手引書.pdf

いや、もっと早く探し出すべきだった。平成13年に最初の発行を経て、平成25年4月14日第四版と書いてあるから、ずいぶん前から編纂を続けていたのであろう。が、私は昨年末に見つけた。

◎指導の心得≪抜粋≫
目を引いた個所をコピーさせて頂き、そこに私のコメント・経験談を添えていく。

-------------------------------------------------------------------
一口に指導といっても、その手段を誤ったり、子どもといえ相手の気持ちを無視した指導を行うと、期待と逆の結果をもたらし本来の目的が達成できなくなる恐れがあります。
-------------------------------------------------------------------

いやはや、ごもっともで。。何とも耳に痛い話で、コメントのしようもございません。指導者だからと言って、何から何まで上の立場でモノを言っては、相手の「聞く耳」を失います。本当にその通りで、日々、葛藤するばかりです。

私の経験からも、言っているアドバイスは正しい、でも言い方一つ間違うと全く聞いてもらえない。そういう事は良くあります。すると、指導する立場がないので、時には「反抗期だな」とか「素直じゃないぞ」とか「きっと学校でも先生の話を良く聞かない子なんではないか?」とか、相手(つまり子供)側に問題があるのであって、自分には非がない、と思いがちです。

しかし後日振り返ると、自分側にも問題があったことを認めざるを得ない場面が多々あります。前振りもなく頭ごなしに注意したり、突然早口で助言と言う名の強い指摘をして相手を混乱させたり。。

「いつも言っている事だろ!」と言うものの実は、子供の理解を超える早口で分かっていないままだったら、何度同じことを言っても無駄だった、と言うケース。
「何度言ったら分かるんだ?」と言われても、スルー。子供が分かるレベルまで降りて行って、分かる言葉に置き換えないとならないケース。
「そこ、大事なポイント。違う、そうじゃない!」と言っても、何がどう間違っているのか、伝わらなければ意味がない、そればかりか閉ざす原因にさえなるという、場合によっては最悪のケース。

本当に色々なケースがあります。
だから指導する側も工夫して、伝え方を変えていく必要があります。例えば、
「今の、それでいいと思う?」とか「あれ?いつも何て教えているかな?」と問いかける方法。JDBAの理念の中に「自主性=自分で感じて考えて、積極的に行動する!」というのが第一にある。だから、「それ違う!」というより「それでいいの?」と考えさせる方がいい場合がある。

集合させて「はい、こういう時にどうしたらいいか、分かる人?」と手を上げさせることもある。いつも監督の話をきちんと聞いて実行しようと努力している子は、手が上がり、正解を発表する。「正解!」と皆の前で発表した事を評価すると鼻が高い。すると、分かっていない他の子は、内心では(俺も、本当は分かっていたんだ。くそっ)と思いながら、今度は話を聞こう、という気になる。

だから指導する私としては、相手の成長段階に応じて必要かつベストな助言を選別し、その指導内容には絶対の自信がなければならない、と思っている。絶対の自信があるから、正解かどうかを子供たちに言わせることが出来る。
投球フォーム関しても投球理論がベースにあるから、一つの助言も絶対に自信がある。それを頭ごなしに「私の言う事は絶対正しいんだ、素直に聞け!」ではなく、時には分かっている子供に答えさせるわけだ。

例えば、投げ方に癖のある子がいて、いくら言っても直らない子がいるとする。その際一旦集合し、何球か投げさせて、「はーい、何か気が付いた人?コントロールが悪いのは何が原因かな?」と問う。すると、2,3人手が上がり答えさせる。すると、全員同じ回答で「正解!」と拍手してあげる。
「足の踏み込みが違う、身体が開いている!」「左手を指していない!」「蹴り足がない(接着剤というキーワードも定着している)」など、その子の癖に応じて、きちんと期待通りに答えられる上級生が複数いれば、下級生も納得し、その助言を聞き入れよう、というもの。

そうやって、工夫し、手を変え品を変え、子供たちの「素直さ」を育むのも指導者の役目だと思う。(めんどいけど。(笑))しかし、労力をかける価値がある。
自分で投球フォームを修正する知識が定着した子は、絶対に肩やひじを壊さない。
試合中にも微調整し、アタック精度もキレも修正する、というわけだ。

やや横道にそれた感はあるが、小学生のうちから、知識と実践をリンクさせた指導を行うと、中学生に入り本格的なスポーツに入る過程で、大きな財産となる。まして投球理論などは、野球部に進む子などにとっては、是非とも修めてもらいたいものだ。(つづく)
posted by 触育士 at 00:31| Comment(0) | 指導者心得 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。